泣きたくなるほど嬉しい日

今日は朝寝坊しました。 やっちまった.....。 

朝日が大嫌いな人間なので、夜は寝たくないし、朝は起きたくない。そんな都合のいい奴なんです。

 

 

都合のいい奴なので、自己嫌悪の朝〜深夜超えて先ほどクリープの新譜が配信されたって事実を明日の言い訳に使おうとしてます。

 

 

クリープハイプ“この文字列を見ただけで、お坊さんが般若心経の羅列を見て安心するみたいな、妙な信憑性のない超毒性のある文字列にやられる。

 

 

信仰宗教を開くなら“クリープハイプ”の曲の文字列を並べた説法でも書きたい。

 

 

何がいいたいかって、クリープハイプっていうバンドはいい意味で宗教なんですよ。 少なくとも僕にとっては世界観が教祖なんですよ。死ねと言われたら死ぬんですよ。そんな連中がコアにたくさんいるバンドがクリープハイプなんですよ。いやまじで、いい意味で。

 

 

最初に「死ぬまで一生愛されてると思ってたよ」を聴いたのが、中学生だったと考えたら恐ろしいですね。 いつのまにか歌詞の意味も、世界観の世界観も、理解できるくらいのそこそこの人生経験をしてきたんだな〜って思います。きっと死ぬ時の走馬灯のBGMはクリープベストアルバムなんでしょうね。

 

 

当時、「周りの知らない奴が知ってる音楽を聴いてる(下北で眠ってる苦節多めのバンド好きな俺)」を頼りに、「声が高いバンドだな〜」っていう感覚しか持ち合わせていなかったのに、恋愛を経験していく毎にクリープの歌詞の意味を理解しだして、気づいたらいつのまにか自分の聖書的な存在になってた。 心が穏やかじゃない時はクリープの女々しくて、吹っ切れない心の吐露を愚直に殴り書いたみたいな歌詞と、ハイトーンで装飾された骨のある楽曲にトリコになってた。

 

 

今回のアルバム「泣きたくなるほど嬉しい日々に」明らかに、俺の醜い心の聖書的な存在だった鋭さみたいなのは無くなって少し悲しい気持ちもあるけど、生きていくには負の感情だけでは当然無理で、陰から陽への転換が必要で、それをクリープが教える側になったんだな....って思ったら、彼らの新しい境地についていったらまた違った自分に出会える気がして、やっぱ聖書であり続ける彼ら。

 

 

何を書いてるのかわからないくらい殴り書いた。 新譜をゆっくり聴いて、新しい世界観、クリープハイプを咀嚼していきたい。